【読書会報告】『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』を題材に女性の仕事について考える(2024年3月28日)

3月28日にDE&I研究会で第6回となるランチ勉強会を実施しました。今回はカトリーン・マルサル著『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』を題材に読書会を行い、これからの経済と女性の仕事について考えました。

【読書会概要】

  • タイトル:『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』を題材に女性の仕事について考える
  • ファシリテーター:かどちゃん
  • 実施日:2024年3月28日12:00-13:00
  • 読書会概要:
    • フェミニスト経済学とは
    • 本書・各章の概要紹介
    • エピローグ

【勉強会内容】

1. フェミニスト経済学とは

『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』は、「フェミニスト経済学」の本として度々紹介されることがあるので、まずは「フェミニスト経済学」の定義を明確にしておきましょう。

フェミニスト経済学とは、読んで字のごとくフェミニズムの視点から経済学を捉え、女性と男性の経済的平等を促進する学問のことです。フェミニスト経済学では、家父長制と資本主義を相互に関連する支配体制として捉えており、その背景から生じる収入や権力格差などをも課題として取り扱っています。

2. 本書・各章の概要

本書では、経済学問上のヒト(経済人)と、実際のヒトの行動がいかに異なるか、や自己利益の追求だけでは説明がつかないヒトの行動などについてさまざまな事例が紹介されています。また従来女性が担ってきた「ケア労働」が経済活動の前提から抜け落ちていることにも深く言及しています。

では各章(ここでは第1章、第4章、第10章)ごとに概要を紹介しながら、著者の主張を見ていきたいと思います。

第1章「アダム・スミスの食事を作ったのは誰か?」

第1章「アダム・スミスの食事を作ったのは誰か?」では、近代経済学の父と呼ばれているアダム・スミスの提唱した「見えざる手」の考え方に疑問を呈しています。

「見えざる手」とは、市場経済は個人の利己心・利益の追求によって回っているため、それぞれが自己利益を追求すれば、見えざる手に導かれ、世界中に必要なものが適切に分配されるという考え方を指します。

そして著者は、このアダム・スミスの提唱する自己利益の追求によって成り立つ経済市場は女性の生産活動を無視しているのではないか?と読者に投げかけています。

以下は第1章の中でも印象に残った著者の疑問を抜粋したものです。

―アダム・スミスは夕食のテーブルで、肉屋やパン屋の善意のことは考えなかった。取引は彼らの利益になるのだから、善意の入り込む余地はない。自分が食事にありつけるのは、人々の利己心のおかげだ。いや、本当にそうだろうか。ちなみにそのステーキ、誰が焼いたんですか?

実際にアダム・スミスは生涯独身で、彼が経済学者として活躍できた背景には母親の家庭的支援があったといわれています。このように経済学が語る市場というのは、常にもうひとつのあまり語られない経済(女性のケア労働)の上に成り立っているのでは、と著者は述べています。

第4章「経済成長の果実はどこに消えたのか」

続いて、第4章「経済成長の果実はどこに消えたのか」では、20世紀の経済学者ケインズが考えた経済成長後の世界について取り上げています。ケインズは当時、我々が合理的な個人であれば、経済成長が続くことで100年後に貧困がなくなると考えていました。実際に彼の予想をはるかに超えて世界経済は成長しましたが、貧困問題やグローバル経済における格差問題は解決しておらず、彼の思い描いていた「経済成長後の世界」は実現していません。

本著では我々がみな合理的な個人であるなら、人種や階級、ジェンダー問題を考える必要はないのではないか、と著者は投げかけています。

たとえば貧しい女性が食糧を手に入れるために男性と寝るという行動も、私たちがみな合理的な経済人であるという前提に立てば、それは自由で合理的な意思決定であるのだから、何も問題はないのではないか、と。

つまり、ケインズの考えた経済成長後の世界が実現しなかった、経済成長の果実が実らなかったのは、合理的な経済人の性質が伝統的に男性のものとみなされていて、女性という存在が意図せず経済市場から排除されていたからではないか、ということが第4章でも間接的に述べられています。

第10章「ナイチンゲールはなぜお金の問題を語ったのか」

最後に、第10章「ナイチンゲールはなぜお金の問題を語ったのか」で綴られているケア労働について紹介していきます。

ケア労働(育児・家事・看護・介護など)は伝統的に家の中で女性たちが担ってきた営みであり、その女性たちの働きはお金とは無縁なものとみなされていました。特に看護・介護などの、奉仕の心を必要とした労働は高潔で尊いものと捉えられ、家でケアをしてくれる女性は市場で働く男性を愛と優しさで補完してくれる存在でした。

これに対して著者は、ケア労働は決して女性から湧き出てくる天然資源ではない、と述べています。人をケアする仕事というのは、愛情や優しさ、高潔な心をもって行う仕事と考えられていたため、男性と比べて圧倒的に女性労働者の数が多く、その考え方が結果としてケア労働の経済的価値を下げるという事実を作ってしまったのではないか、と。そして経済市場からそういった労働を締め出すのであれば、きちんとお金を提供すべきであり、経済の論理に合わせて社会が人のかたちを変えてしまったのではないか、と語っています。

3. エピローグ

本書の最後に著者はこうも述べています。

―女性を加えてかき混ぜたら、次にやるべきは変化のインパクトを正しく理解し、社会と経済と政治を新たな世界に合わせて変えていくことだ。経済人に別れを告げて、もっと多様な人間のあり方を受け入れられる社会と経済を作っていくことだ。

女性の権利としてフェミニズムを進めていくひとつの切り口として「経済」があり、多様な社会・経済をつくっていく考え方として「フェミニズム」や「フェミニスト経済学」は切っても切り離せない存在なのだと本書を通して強く実感いたしました。

人によって気になる点や興味を引いた点が異なり、同じ文章を読んでいても捉え方が異なることを知ることができ、お互いに学びを深めることができました。

今回紹介したのは本書の一部にしかすぎませんので、もしご興味あればぜひお手に取ってみてください。感想もお待ちしています!

【DE&I研究会とは】

2023年4月に立ち上げたダイバーシティのすすめにて運営するコミュニティ

勉強会やコミュニティ形成を通じて、以下2つを実現できる場として設立

  • 本当に意味のあるD&Iが何かを共に考え、行動に繋げる原動力とする
  • 自分の周囲を変えられる力を養い、会社に左右されない自分自身の望むキャリアや働き方を見つける

メンバーは随時募集しております!ご興味ある方はぜひ一度ご連絡ください!

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