妊娠か、キャリアか — 将棋界のニュースから考えたこと

こんにちは!ダイバーシティのすすめライターの生方です。
今回はこちらのニュースをきっかけに、女性の人生を考えるうえで切っても切り離せない「キャリアと出産の両立」について考えてみたいと思います。

妊娠めぐる規定、将棋連盟検討委が最終答申 福間女流の要望は入らず

将棋界で何が起きていたのか? 最終答申までの経緯

事の発端は、女流棋士である福間香奈さんが訴えた、日本将棋連盟への妊娠・出産に関する規定見直しの要望でした。
福間さんは妊娠中だった2024年につわりによる体調不良を理由に対局日程の延期や対局地の変更を連盟に申し出ましたが、「規定にない」という理由で認められず、不戦敗となってしまったのです。当時は、妊娠・出産についての規定はなく、「感染症の罹患や総合的に妥当と判断される場合に、対局日を変更できる」とされていました。

その後、連盟は「産前6週・産後8週の期間にタイトル戦の日程が重なった場合、対局者を変更する」という新規定を設けました。これはタイトル保持者が妊娠し、タイトル戦がその期間に重なった場合、事実上の不戦敗となりタイトルを手放すことを意味します。

「妊娠しない身体」を前提にした制度

福間さんの要望を受け、連盟がすぐさま謝罪し、制度改定へ動いたことは大きな前進であり、評価されるべきだと思います。特に椅子対局や服装への配慮も含め、「妊娠した棋士が対局に参加すること」を想定した制度に変わったことは非常に大きな変化だと思いました。
なぜなら、未だに多くの組織において「妊婦がいること」を前提とした制度設計がされていないからです。

  • 長時間働けること
  • いつでも移動できること
  • 体調が常に安定していること

こうした条件が「普通」とされているため、妊娠した瞬間に普通から「例外」になります。そしてその例外対応は「本人やその周囲の努力」として処理され、制度や仕組みが確立されていないことが多いのが実状です。制度の不備が結果的に個人やその人の周囲の負担へとすり替わっていきます。

妊娠は本来喜ばしいニュースのはずです。それなのに現実には制度が整っていないことで「キャリアが止まってしまう」、「周囲に迷惑をかけてしまう」などと真っ先に不安や責任を感じてしまう人も少なくないのではないのでしょうか。表向きは「配慮」という言葉で包まれながらも、昇進候補から外れたり、責任ある仕事を任されなくなったり、「妊娠中だから仕方ないよね」という空気を感じたりすることもあります。

競技社会の中にも妊婦が当たり前に存在するという前提で制度設計していく必要性を可視化したという意味で、今回の議論はとても大きかったと思います。

「特別扱い」ではなく「条件を整える」こと

残された課題としては、福間さんが求めていた「タイトル保持資格の保全」です。

今回の改訂では見送られましたが、この項目は非常に難しい問題だと感じています。私自身、職場で同じチームの同僚が妊娠していた時と、自分自身が妊婦であった時、その両方を経験しているので、この問題の難しさは身に染みてよく分かります。

もしタイトルの保全が認められていたら、

  • 「妊娠だけを特別扱いするのか」
  • 「病気や怪我による不戦敗と何が違うのか」
  • 「競技のルールは全員に平等であるべき」

といった反対意見もあがっていたと思います。そうした感覚ももちろん理解できます。
ただ、妊娠・出産には「その負担がほぼ女性側に集中する」という決定的な特徴があります。もし制度が何も調整しなければ、キャリア上の不利益もまた、女性だけが引き受けることになります。

妊婦への配慮は「特別扱い」ではありません。今回、福間さんが求めていたのも「優遇」ではありません。特定の人だけが不利益を受けている状況を見直すことです。階段しかない建物にスロープをつけることは、優遇ではありません。不利益を受けている人の状況を把握して、公平にするための条件を整えることです。妊娠・出産も、本来は「自己責任」で処理されるべき出来事ではないと思います。

一方で、将棋においては対局相手が必ず存在するため、妊娠・出産を理由に対局に穴をあけた場合、対局相手が受ける不利益も考えなくてはなりません。対局相手の他にも、主催者・スポンサーをはじめ、多くの関係者がいてタイトル戦が成り立っている。そういう事実を考慮した上で、連盟側が「妊娠・出産を特別な理由として制度に織り込むこと」に慎重になるのも理解できます。

ただ同時に「誰にとっての制度なのか」という問いも残ります。競技社会においては、まず競技に参加する人の声が一番に尊重されるべきです。

今回の議論のポイントは、妊娠・出産を理由としたタイトルの保全を認めてしまうと、誰がどんな不利益を被るのかという点にあると思います。「全員が不利益を受けないように平等に扱うこと」と、「全員が競技を継続できるように条件を整えること」は、似ているようで少し違います。 平等と公平が混同してしまうと、誰にとっての制度なのかという視点を見失ってしまうように思います。

そもそも完全な「平等」は存在しない

そもそもすべての人が完全に平等であることは不可能です。

どの時代に、どの地域に、どんな家庭に生まれるかで、人生のスタート地点は大きく変わります。ダイエットばかりを気にする若者もいれば、生まれてまもなく飢餓で命を落としてしまう子もいます。世の中は残酷なほど不平等で、「全員が同じ」という意味での平等はありえません。だからこそ、条件を整えるという意味での「公平」を目指したい。

妊娠・出産を「特別な事情」として排除するのではなく、どんなライフイベントがあってもキャリアを継続できる余白を制度の中に組み込んでいく。それは、子どもを持つ・持たないに関わらず、誰もが自分らしい人生を選べる社会につながっていくと思います。

必要な支援や配慮は、人によって違います。だからこそ、その人に合わせて「公平」な支援や保障がされる仕組みが企業や社会にもっともっと増えていってほしいと思います。

「二択」を溶かしていく社会へ

私は今回のニュースを読みながら、「二択を迫られること」そのものが女性のキャリアを難しくしているのではないかと感じました。女性は人生のさまざまな局面で、極端な二択を突きつけられます。

結婚によって転勤や転職を余儀なくされたり、結婚すれば次は出産か、キャリアの継続か。そして母になれば、仕事をセーブしながら子どもとの時間を大切にするか、家族との時間を削ってでも新たな挑戦をするかなど、さまざまな選択をしていかなくてはなりません。

もちろん現実には、その時々で何かを諦めなければいけない場面もあります。でも、本当に常にどちらかを手放さなければ前に進めないのでしょうか。今回の将棋界の問題も、根底にはその二択の構造があったように思います。

昨年末の記者会見で、福間さんはこう語っています。 

「第二子を持つことは無理だと、絶望的な気持ちになった。妊娠かタイトルか、どちらかを選ばなければならない世界ではなく、両方を目指せる世界になってほしい」


「どちらかを諦めなければ前に進めない」という構造は、あまりにも窮屈です。二択を迫る社会ではなく、二択を溶かしていく、その過程にある選択肢を一緒に考えられる社会になっていってほしいと思います。

今回福間さんが声を上げたことで、将棋界は少なくとも「妊婦が対局に参加することを想定した」制度に変わりました。制度は、誰かが困ったときに初めて欠陥が見えるものです。そして、その欠陥に気づいていない人もたくさんいます。気づいていても見て見ぬふりをしている人もいるかもしれません。だからこそ、気づいた人が声を上げることには大きな意味があります。制度が見直されることで、それまで存在しなかった選択肢が生まれていくからです。 

妊娠・出産が「キャリアの障壁」ではなく、一人の人生の自然な選択として周囲から当たり前に祝福される出来事となるように。働き方やキャリアの繋ぎ方の選択肢が、もっともっと増えていってほしいと心から願っています。

声をあげることの難しさ

実はこのコラムを書いている最中、さらに衝撃を受けるニュースを目にしました。

「記者会見を開いたら懲戒処分を検討」妊娠でタイトル戦“不戦敗” 問題提起しようとした女流棋士に日本将棋連盟が文書を送っていたことが判明

福間さんが制度について問題提起しようとした際、日本将棋連盟から「記者会見の内容や今後の動向によっては懲戒処分を検討する」という趣旨の文書が送られていたというのです。 

制度に違和感を感じ、声を上げ、改善へと繋げていく。言葉にすると簡単ですが、実際にはその声が組織の中で問題として扱われるまでには、多くのハードルがあります。そして声をあげる人がマイノリティであればあるほど、それは難しいことなのだとあらためて思い知らされました。

このニュースには賛否両論あると思います。マスコミを通じた問題提起は、議論を冷静に進めにくくするという見方も理解できます。ただ、本来であれば、記者会見という形を取らなくても、当事者が安心して問題提起できる組織であるべきではないでしょうか。問題提起をする人が「波風を立てる人」のように扱われてしまう。そんな空気がある限り、組織が制度の欠陥に気づくことはできません。

制度を整えるのと同じくらい「制度を使える風土をつくる」というのは多様性を実現するうえで最も重要なことのひとつであると思います。

「違和感を口にしてもいい」と一人ひとりが思える環境をつくること。それが、制度を変えていくための大切な土台になるのだと感じています。

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