ガラスの天井の正体 —高市総理誕生から考えたこと—
こんにちは!ダイバーシティのすすめライターの生方です。
今回は、国際女性デーに投稿されたこちらのニュースをきっかけに、「ガラスの天井」や「ガラスの崖」という言葉について考えてみたいと思います。
ガラスの天井「破られていない」 三浦まり上智大教授―国際女性デー
昨年10月、日本で初めて女性の総理大臣が誕生しました。各メディアが「ガラスの天井が破られた」と報じ、これを機に「ガラスの天井」や「ガラスの崖」という言葉を耳にする機会も増えたと思います。最近はテレビ番組でも取り上げられるなど、関心の高いテーマになっているようです。今回はこれらの言葉の整理や、その「正体」について、自分なりに考え、まとめてみようと思います。
ガラスの天井とは
「ガラスの天井」とは、能力や実績があるにもかかわらず、性別などを理由に昇進が阻まれる“見えない壁”を指す言葉です。表向きには平等が保たれているように見えても、実際には無意識の偏見や慣習によって、特定の層が上位に進みにくい構造が存在します。
特に厄介なのは、この壁がガラスでできている=「見えない」ということです。明確な差別があるわけではないため、個人の努力不足と捉えられたり、適性の問題としてすり替えられやすいのです。しかし実際には、評価の前提となる働き方やキャリアの積み方自体が、ある特定の人に有利に設計されていることも少なくありません。たとえば長時間労働や転勤を前提とした働き方は、子育てや介護と仕事を両立している人を自然とふるい落としてしまいます。このように制度や文化の中に組み込まれた暗黙的な前提が、結果として昇進の格差を生み出している場合も少なくありません。
つまりガラスの天井は、「女性が昇進できない問題」というより、「どんな人が昇進しづらい仕組みになっているのか」という問題でもあるといえます。
ガラスの崖とは
ガラス天井と似た言葉として「ガラスの崖」という言葉も最近聞かれるようになりました。
「ガラスの崖」とは、女性やマイノリティがリーダーに登用される際、その多くが組織の危機的なタイミングである、という現象です。
高市早苗総理の就任も自民党が参院選で過半数割れとなり、政権交代の危機に瀕しているタイミングでした。これも「ガラスの崖」といえるかもしれませんね。
「ガラスの天井」を破り、ようやくトップに立ったとしても、その足場は不安定で成果を出すことが難しく、結果がそのまま評価に直結しやすい。そしてその評価は個人で終わらないことが多いのです。
「やはり女性には難しかった」といわれ、属性全体の評価に広がってしまう。逆にうまくいったとしても、「運がよかっただけ」や「例外的なケース」として処理されることも少なくありません。なぜこのような配置が起こるのかについては、いくつかの解釈があります。新しい視点への期待、従来とは異なるリーダーシップへの期待、あるいは失敗時の責任を負わせやすい存在としての側面などです。いずれにしても、登用されたという事実だけを見て「前進した」と言い切るのではなく、その人が置かれた「足場の危うさ」にも、私たちは目を向ける必要があると感じています。
高市総理誕生でガラスの天井は破られた?
高市早苗氏の総理大臣就任は、間違いなく日本の歴史的な一歩です。「女性初」というインパクトは大きく、長年指摘されてきたガラスの天井がついに破られたとメディアが報じたように、実際にそう感じた人もいるのではないでしょうか。
しかし、一人の女性が国のトップになったことと、構造的な障壁が解消されたことは同義ではありません。実際、女性議員の割合は依然として低く、政治の世界全体で見れば、女性が活躍しやすい環境が整ったとは言い難い状況です。
「ガラスの天井」が破られたかどうかは、同じような立場を目指す女性が今後どれだけ自然に現れるかという点にも影響してくると思います。一度の出来事を「到達点」と見るのではなく、「その後どう変わるか」を見ていく必要があると感じています。
ガラスの天井の正体とは
「ガラスの天井」の正体とは一体何なのでしょうか。さまざまな議論がありますが、先日、とある番組で元キャスターの安藤優子さんがこうおっしゃっていました。
「ガラスの天井の正体は、『男並みに働けよ』ということ。だから高市さんは『働いて、働いて、働いて』と言わざるをえなかった。」
長時間労働、競争志向、感情を抑えたコミュニケーションなど、これまで主流とされてきた男性的なタフな働き方に適応できるかどうか。これは何も男女という線引きで片付くものではありません。男性であっても、仕事を最優先に生活しているとは限らないからです。もし、そうした従来の働き方が評価される構造があるとすれば、男女を問わず、それに合わない人は自然と上に上がりにくくなります。性別に限らず、多様な人材の可能性を狭める要因にもなります。つまり、ガラスの天井は「女性だから昇進できない」という単純な問題ではなく「どのような働き方や価値観が評価基準とされているか」という問題につながります。評価基準そのものが変わらなければ、上に立つ人の顔ぶれが多少変わったとしても、本質的な構造は維持されたままです。ガラスの天井を壊すことは、女性やマイノリティがリーダーとして活躍するだけでなく、その前提となる仕組み自体を作り変えていくことではないでしょうか。
ぼやき
自分自身のキャリアを振り返り「あれはガラスの天井だったなぁ」と思う出来事があります。
私の会社では毎年、決算後にその期を振り返り、期初に立てた個人目標の達成度や組織への貢献度を評価者との1on1で確認し、評価をもらう機会があります。新人の頃や入社年次の浅いうちは経験不足もあり、満足のいく評価は得られず、特に相対評価という仕組みの中では仕方のないことだと感じていました。年次を重ねるにつれて、自分なりに高い目標を設定し、少しずつ評価もついてくるようになりました。
しかし、産休に入ることが決まっていた年の評価は、新人の頃と同じ水準にとどまりました。当時、妊娠発覚後にすぐ上司へ報告したため、その後産休に入るまでの期間は約半年ほどありました。幸い悪阻もほとんどなかったので仕事量を調整することなく通常通り働いていましたが、その半年間に新しい仕事を任されることはありませんでした。求められていたのは、半年後の休職に向けて後任に滞りなく仕事を引き継ぐことのみ。それ自体は重要な役割ですが、「目標を達成できなかった」というより「そもそも高い目標に挑戦させてもらえなかった」という感覚が残りました。もちろん、体への負担を考えてくださった配慮だったのかもしれません。ただ仕事の幅があらかじめ狭められ、無難な評価に落ち着いてしまったことには、やはり違和感がありました。
子どもを産むのが女性である以上、働き方や求められる役割に違いが出ることはある程度避けられないことだと思います。それでも、産休に入るまでの時間の中で、どのように働くか、どこまで挑戦するかは、もう少し本人の意思に委ねられてもよかったのではないかと感じています。妊娠を報告したことで、私個人ではなく「これから産休に入る女性」という評価グループにカテゴライズされたような気持ちになってしまいました。その半年間、それまでと同じように働けたかと問われれば、正直に言って難しかったと思います。それでも、挑戦の機会やその選択肢が最初から閉ざされてしまうことには、納得がいきませんでした。
冒頭に紹介した記事では、「高市首相の場合は小さな穴が開いて、副総裁の最後の一押しではい上がることができた。他の女性にはまだ厳然たる天井がある」と書かれていました。ただ私自身の経験を踏まえた上での実感としては、そもそも天井を破れるかどうかの段階に辿り着く前に、そこへ向かう機会が与えられているかという点でガラスのフィルターが存在しているような気がしています。ガラスの天井は、さまざまなものを天秤にかけ、ときにはキャリア以外の何かを手放したり、諦めたり、そうした過程をくぐり抜けてきた人だけが、ようやく挑むことのできる壁なのかもしれません。
長年政治の世界でキャリアを積み重ねてきた高市総理が、就任後もなお「働いて働いて働いて」と口にした背景には、ようやく得た機会を決して無駄にしないという強い意思があるように感じました。それは同時に、日本の社会において「女性が機会を得ること自体のハードルの高さ」を示しているようにも思えます。ガラスの天井を語る上でフォーカスすべきは、ガラスの天井を破る人を増やすことではなく、そこにアクセスできる機会をつくる、選択肢を増やすことなのだと思います。誰かがふるい落とされる前提ではなく、挑戦の機会にアクセスし続けられる仕組みへと変えていくこと。それが「ガラスの天井」を本当の意味でなくしていくことにつながるのではないかと感じています。


